瀬尾まいこ著「そして、バトンは渡された」の読書感想




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「困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけれど、適当なものは見当たらない。」

1章の始まりの一節にこの物語の集約されているような気がする。

一般論として、人は誰しも幸せになる権利を持っている。
それは生まれた環境によって変わらないものであるというのは願望であり、そう上手く行かないのは誰しもが知っているが、あえて言うことではない。
最近はSDGsなど、多様性の尊重が叫ばれる時代である。
日本では離婚する夫婦は3割いるとされていて、今の私にとって離婚と聞いてもさもありなんと言った感じで特段親しい人でなければ大して気にもとめない。
しかしながら、振り返ってみれば小学生の時に苗字が変わった同級生や家庭の事情で引っ越す同級生がいて、それは小さな世界では一大事だった。
当時はやはり、周りも腫れ物に触るような感じがしていて、みんな話しかけづらくなっていたような気がした。
そして、難しいのはこちらが気にしていなくても、当の本人が気にしている場合があることだ。
本書の主人公である優子は、自らの家庭の事情について隠す素振りもなく朗らかであり、周りが気にすることもなく、日常がある。
同級生との会話で、友達が「本当のお父さんじゃないからね」みたいなことをさらって言っていて、読んでいるこちらがヒヤッとするほどだ。
確かに私の高校生のときに、友人も離婚していて割と普通にその話をしてきていたので、気になることはなかった。さすがに高校生ともなれば分別がつく年齢であるし、世界も広がっている。
優子が早熟というよりは、自然な日常だろう。
高校生にもなって意地の悪い同級生が2人出てくるのもリアルである。
親子のあり方というのは、誰かがこういうものだと決めるものではないだろう。
友達のような親子がいれば、親に敬語を使う親子もいる。
中学生のときに、親に敬語を使っている同級生がいたがそれはさすがに噂になった。
こうやって振り返ってみると、自分の周りにも多様な家族のあり方があった思い起こされる。
しかし、こうやって冷静を装って書けるのは、自分が当事者でないからかもしれない。
父親が3人、母親が2人と、そして全く血のつながりの父親と二人暮らしをする高校生活。
もしこのうな状況の知り合いがいたら、やはり勝手に苦労しているだろうな思ってしまうし、気を使ってしまうかもしれない。また、自分が幼ければ陰口を言ったり、距離を取ったりしてしまうかもしれない。
そもそもとしてあるのは、他人の家庭のことをどうこういうのは憚られる。
書いていて思い出したが、同級生の親が犯罪を起こして新聞にのったことがあった。
翌日はざわついたが、気を使うというよりは面倒ごとにわざわざ関わりたくないたいった感じで直ぐに日常は戻った。
この作品を読んでいて、ある女子に起きてきた日常の心温まる話といった感じで特別なことが起きていないように感じさせるのはこの物語の完成度の高さだと思う。
最後に結婚式で今までの親が集結しわだかまりがなく大団円でめでたしめでたしで終わったり、高校生のときに密かに思いを寄せていた同級生が結婚相手で若くして結婚するという一般の人が憧れを抱くような状況だったりと幸せが詰まっている。

物語の軸の一つにあったピアノ。
優子が友達が弾いているのを見て、ピアノを習いたいと梨花さんに言ったことに端を発する。
ピアノで親(梨花さん)が再婚相手(泉ヶ原さん)を決め、ピアノで(森宮さんとの)親子関係がギクシャクし、ピアノが縁で結婚相手(風来坊)と出会う。
無駄なことなんてなかった。
この物事が繋がっていく感じ、若い時の苦労は買ってでもしろ、人生に無駄なことなんてないと信じたい観念だ。

梨花さんが病気になっていた設定は意外だった。正直驚いた。
本当の母親が優子が3歳になる前に交通事故で亡くなったという辛い設定がまずあった。
2番目の父親となった泉ヶ原さんの前妻も早くに病気で亡くなっているなど、女性に関してはなかなか厳しい設定である。
一方で男性には経済的な部分が期待されているのは生々しい設定である。
この物語のキーマンは、梨花さんであるし梨花さんの優子を第一に考えての行動が、この本来であれば成立しないような環境が成立している。
優子の父親になった3人全員と結婚しているのだから、物語を動かしたのは梨花さんだ。
まぁ率直に「家族とは」の前に、「結婚とは」という疑問を感じてしまったのは事実である。
子への無償の愛という奴だろうか。
そして本書では「家族とは」というのがやはり大きなテーマであると思う。
血のつながりがあるなしの一点では家族を語れないと本書を読んで思うのではないだろうか。
子どもを育てるのは大変だし、赤の他人の子を突然育てるのも当然大変だろう。
一般的には赤の他人の子を育てる方が困難に思えるし、気持ちの面では特にそうなんだと思う。
物語の特別な親子関係が成立しているのは、優子が良い子であったからというのは間違いないだろう。
親や周りの人、例えば大家さんなどが良い人であったから、優子が良い子に育ったとも言えるし、やはり家庭環境が良いことに越したことはない。
優子が不平不満を言うシーンはない。
私の本書を読んでの優子像は、現実を受け入れる強さ、適応力というか少し前に流行った鈍感力が長けた人物である。これは逞しさと言える。
やはり、これは家庭環境が変わる中で見に付いたものだと思うし、森宮さんが言う傲慢とは違うと思う。
この逞しさというのは、みんなが欲しているものであるがゆえに、どこか羨ましく思ってしまうものだとも思った。
本書では最後に親となった森宮さんとのシーンが多いが、幼少の優子をしつけたのは水戸家の祖父祖母であり、優子の人格形成に多大な影響を与えているのは間違いないと思う。
しかしながら、祖父祖母は梨花さんとの結婚で縁が切れて最初の方に登場したっきりでフェードアウトしてしまう。
唯一本書で音信不通のまま途切れた家族であり寂しさは残った。
祖父祖母の子である血のつながりがある最初の父と結婚式で再会でき水戸家と繋がれたので良かったしこれが現実的な折り合いかもしれない。
他には森宮さんは親と疎遠であり、自身の結婚についてもきちんと伝えていなかったようだし、梨花さんの親は登場しない。
随分と極端に書かれているが、血縁とは何なんだろうかと考えさせられる。

見逃せないのが、優子がモテるという設定である。
人は見た目が9割なんて悲しい説もあるけど、優子の容姿が良かったことが血のつながらない親子関係形成にどれほど影響したのか考えるのは外道だろうか。
優子のモテエピソードを物語に組み込んだ理由を考えるに、やはり優子が人から愛されていることを強調するためだと思った。
友情あり、恋愛ありで充実した優子の生活が描かれていて、やはり冒頭の一節に帰結するのだろうか。

本書の文庫版の解説で、上白石萌音さんは、優子の高校時代の担任・向井先生が大好きだと書いていた。
私は向井先生には特段に思うところはなかったが、優子には冷静に見守ってくれる経験豊かなおばちゃん先生であったいたんだろうと思う。優子がクラスで嫌がらせにあっていたときも、下手に介入してこじれさせることなく解消されるのを待ったのもベテランの経験によるものではないかと勝手に思っている。
とどのつまり、物語に登場する優子の周りで嫌な人は同じクラスの二人だけで、あとは良い人なのである。

ちなみに私が好きな登場人物は、アパートの大家さんだ。
短い期間だが、幼少の優子を支えたのは大家さんではないだろうか。
大家さんの愛情に、より深いものを私は感じた。
本書のタイトルにある「バトン」には、「親のバトン」という意味があるのは間違いないと思う。
そして、大家さんが渡した20万円もまたバトンだったのではないだろうか。
長編ゆえに忘れてかけていたが、まさが最後の方に登場するとは思わなかった。
タイトル通り「そして、バトンは渡された」だ。
何も親から子への一方通行ではないのだ。

上白石さんのように上手い言い回しは思いつかないが、無理に肩ひじを張らなくてもいいし、諦観したり、悲観したりすることなく前向きに現実を捉えたいと思える作品だし、その先に明るい未来が待っているそんな期待を抱かせてくれる作品だった。

長編で読むのはなかなか大変だけど、あらゆる学校の学級文庫において欲しい本だった。
親子の複雑の設定の割に苦しく思うシーンがほとんどない。
心に余裕がない人ほど、まったり読んで欲しいと思う。

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