湊かなえ著「未来」の読書感想文




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「未来:みらい」の意味を辞書で調べてみた。
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まだ来ていない時。①時間の三区分の一つで、現在より先(の全体)▷「将来」より先を指すことが多い。「将来そうなるだろう」に当たる使い方はしない。②[仏]三世の一つである死後の世。来世。
【岩波国語辞典第7版新版P1445】西尾実 岩淵悦太郎 水谷静夫 岩波書店 2011 
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雑誌「ダ・ヴィンチ」2021年10月号に高山一実さんと本書の著者である湊かなえさんが対談が掲載されていた。そして、かずみん(高山さん)が湊さんの10年間の集大成と言える作品として本書を紹介していて本書を読む決意を直ぐにした。
私が読んだのは単行本で文庫ではないので、著者のあとがき・解説を読んでいない上での読書感想となる。
湊かなえさんの作品は、「告白」「少女」の二作品を読んで、それからは読まないようにしていた。理由は、内容が重く、読後に悶々として考えてしまうからだ。読書は仕事ではないので、読書には非日常感を得ながらも読後に爽快感や幸福感などが得られるハッピーエンド作品を期待している。
今作のタイトル「未来」を見たときに、勝手に希望に満ちたような明るい作品なのでだろうと想像した。今思うと「未来」という言葉を脳内で勝手に「明るい未来」と自動的に枕詞を付けて変換され先入観を持っていた。単に「まだ来ていない時」と解釈すれば、「希望に満ちた」か「絶望」の未来かはわからない。この作品は、私の「未来」という言葉の先入観を正してくれた作品であった。
さらに私事を続けると、この作品を読む前に瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」を読んだばかりだった。これらの作品は本当に対極にあるような作品で、心の揺れ幅が通常よりもさらに大きかったかもしれない。何が対極にあるかという「家族の幸福」だ。

あらすじを書くのも精神が削れるくらい、登場人物は不幸な人ばかりである。人を不幸で決めつけるのは良くないとは思うが、これで不幸ではないと言ったら何を不幸と呼ぶのかはわからない。「絶望的」と言っても過言ではない。
一昔前に携帯小説なるものが流行った。携帯小説の内容はどれも似たようなもので、家庭環境が悪く、非行に走ったり、不登校になったりしその後の何らかの経験を得て成長し未来に前向きに歩き出すといったものだ。本作も内容は携帯小説を寄せ集めたようなものだが、携帯小説は素人に毛が生えたような作者が奥行きもなくショッキングな出来事を並び立てているのに対し、本作は文章のプロがこれまでかというくらい不幸を積み重ね畳みかけてくる。刑法を変えた尊属殺人などの実際に世の中には悲惨な事件が起こっている。そういった背けたくなる世の中で実際に起こっている現実をこれまでもかというくらい緻密に構成された文章で延々と書かれているのである。文章の重みがライトノベルなどとは違う分、途中で読書を放棄したい感情に駆られた。しかしながら、どういう結末が待っているのかという欲求がまさり一気に読み進みた。読み終わった日は、中々寝つくことができないほど頭の中を支配されていた。皮肉を込めて言うと、小説で書ける世界に限界はないということをこの作品は示してくれたのではないだろうか。

感想の一つとして、「悪魔のような大人たちに憎悪が募り、子どもの「未来」のためにこれから自分に何かできることはないだろうかと正義感に駆られた」である。
ただ同じように、クズはクズ、関わらない方が身のためとも思う自分がいる。
人間には感情がある。人間と呼べる感情があれば、本書に登場する人物のように壊れてしまうこともある。クズは壊れてもお構いなしだ。変な「正義感」や「感受性が強い」ことは、クズに利用されたり、身を滅ぼしてしまうという警告のようなものも本書から感じた。

この作品で明るい未来を感じたシーンが一つだけである。
それは、主人公である章子と亜里沙が高校の定時制について話しているときである。章子と亜里沙について個別的な説明は避けるが、家庭が絶望的に崩壊している。経済的困窮しているだけではなく、暴力が支配しているし、書けば枚挙に暇がないほど親や早坂という母親と事実婚関係にある男がクズである。その中でも亜里沙は定時制に未来を見出していた。読みながら、この作者は一筋縄の展開にはさせないと身構えていたし実際には更なる絶望が待っていたけど、この時にだけは希望が感じられた。
正直に言って、定時制の高校について気に留めたことが今までの人生になかった。
定時制の高校や大学の夜間が主な二部は廃止などの縮小傾向であり、効率性を考えれば採算が合わないと思う。しかしながら、世の中には効率性だけで判断してはいけないことはあり、定時制はその一つではないかと考えさせられた。

また、メンタリストを名乗る男が生活保護者やホームレスの人の尊厳を踏みにじるような動画投稿を行い大炎上したことが思い出された。世の中を変えられるような富と影響力を持っている人がこのような発言をするのだから事実は小説よりも奇なりというか残酷であるとしか言いようがない。
外面が良かったり、一見常識人であるかのような人に見えても、猟奇的な一面があることを本書は示している。肩書や社会的地位によって本質の見誤り、問題が顕在化しないことへの危惧である。
教師、医者、弁護士、政治家と世間一般に先生と呼ばれる社会的に信用度が高い職業についている人間が本書にも登場するが、クズばかりである。
富や権力を持っている側の人間の闇には、作者の強いメッセージが感じられた。
なお、教師に関しては、一人ないし二人はまともな教師が登場する。
(林については、善悪の判断が難しい。いずれにしても、正義感の強さや感受性の強さから身を滅ぼしていたとは思う。)

結末に関しても、正直明るい未来を感じられなかった。
本書のタイトルの意味が【[仏]三世の一つである死後の世。来世。】ではないことを願うばかりである。
やっぱり、湊かなえさんの作品は読み控えようと読後に思った。
怖いもの見たさとは言うが、この作品はそういった浅はかな好奇心のレベルで読むことをおすすめできる本ではない。

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