又吉直樹著「火花」の読書感想

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レビュー:★★★★☆

実はこの本を読むのは二度目ある。
一度目は芥川賞受賞直後に読んだ。
その時は、神谷さんは意味不明だし、ただの売れなかった芸人の話かと表面的なところしか見ていなかった。だから、正直大した感想も持っていなく、それ以後又吉さんの小説を読むことはなかった。

ではなぜ二度目を読もうと思ったのか。
それは我らの長濱ねるさんが愛読書5冊として本書をbisで紹介していたからだ。
読書家のねるさんがおすすめするということは、私の読解力に問題があったのではないかと思い再度読んでみることを決意した。

月日というのは残酷である。
一度目を読んでから六年が経っている。
この六年で、火花の良さがわかるようになってしまった。
たぶんイケイケどんどんの人は、この本を読んでもあまり良さがわからないだろう。
六年前の私のように。
六年前に意味不明だった神谷さんの一生懸命さが伝わってくるのである。
売れない芸人の話であるが、にっちもさっちも行かなくなり絶望に暮れるとかそういう暗い話ではない。本来なら、暗い話になりそうであるが本書からは暗さを全く感じないどころが、強い生命力を感じる明るさがある。
競争の結果、勝者と敗者がいる。敗者が斜に構えたり、言い訳したりすることは格好悪いことだ。そういって切り捨てていたのが六年前の自分である。
自尊心というのは生きていく上でとても大切なものである。ちっぽけなプライドなんて捨ててしまえというセリフはよく聞くが、捨てることは素敵なことなのだろうか。正論をかざして、潰してしまうことは一体誰のためなのだろうか。
敗者は敗者で状況がよくわかっているのである。それでもあえて明るく振舞っているなら、それができるのは強さだと評価したり受け入れたりすることができなくても、蔑まずにそっとしておいてあげるべきだろう。敗者が上を向いて歩いたって良いじゃないか。
みんな一生懸命生きているのである。一生懸命さを見せないことに一生懸命になる人がいたって良いではないか。生きていれば恥ずかしいことを何度も経験する。殺伐とした現世でこの人にだけは、ここだけでは格好良いままでいたいと思うことは罪なのだろうか。
神谷さんは自己破産し、人に迷惑をかけているので私は格好良いと言うことはできない。
ただ、首をくくるとか最悪な選択をしないで懸命に生きている姿に嫌な気持ちは抱かない。
みんなスマートに格好良く生きたいんだ。
神谷さんの内面については全く書かれていない。あくまでも主人公の徳永の視点で描かれている。徳永について書かれているようでも浮かび上がってくるのは、神谷さんの人物像である。気づけば読んでいる者は徳永になってしまうのである。どうか運が味方に付き、神谷さんが神谷さんのまま生きられるような環境に巡り合って欲しいと願ってしまうというのが読後の感想である。
本書は、別に芸人の厳しい世界にこだわって描かれていたのではなく、もっと普遍的な生き方について書かれていた。
二度目を読んだ今の自分と本書の意味がわからなかった六年前の自分に思いを馳せると、意味がわからない方が幸せなのかもしれないという皮肉な読書感想を持ってしまった。

<参考文献>
又吉直樹 火花 文春文庫 2017

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