映画「響‐HIBIKI‐」を観ての感想  

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1.はじめに
映画「響‐HIBIKI‐」を観ての感想を書いたものである。
私は、原作本「響~小説家になる方法~」を熟読し、平手友梨奈(欅坂46)さんのファンである。
このこと及び、若干のネタバレを含む点をご了承の上、以下を読んでいただきたい。

2.感想
平手友梨奈さんのドキュメンタリー映画のようであった。
演技をしているとか、そういった印象を受けなかった。
癖の強い天才女子高生役は、まさに等身大のはまり役だったと思った。
前評判通りの響だった。
猟奇的な一面と、そして動物好きで可愛らしい一面を見事に表現されていた。

TV番組などの宣伝等では、鮎喰響(平手友梨奈)と花井ふみ(北川景子)の関係がクローズアップされていた。
私は映画を観て、この二人の関係よりも、鮎喰響(平手友梨奈)と祖父江凛夏(アヤカ・ウィルソン)の関係の方が印象に残った。
アヤカ・ウィルソンさんの目力というか、実際に綺麗な瞳に見入ってしまった。
この二人の関係は、原作でも映画でも重要な要素であり、アヤカ・ウィルソンさんの存在感が光っていた。
豪華俳優陣の中でも、眩い光であった。
個人的に小栗旬さん、北川景子さん、 柳楽優弥さんは好きな俳優である。
当然のごとく、キラリと光る存在感であった。

映画全体として、展開が非常に速かった。
行間がなく、情景や心理描写も少なく原作を読んでいなかったら、ついていけなかったかもしれない。
原作がある作品あるあるだと思うが、展開が速くパッチワークになっているところがあると感じた。
深い設定や経過は、平手さんやアヤカ・ウィルソンさんの顔(表情)で表現されていたと思う。
小説家の話であるが、原作もそうであるがあまりその世界については深く突っ込んでいない。
鮎喰響のパーソナリティに特化した作品であった。

監督が言っているように、平手さんにかけた作品だったと思う。
鮎喰響なのか、平手友梨奈さんなのか境目はわからないが、一人の天才女子高校生のポリシーを感じた。
平手さんという若き才能にかけたというのも本作の内容とマッチしていた。

鮎喰響という女子高校生の信念は、欅坂46の「サイレントマジョリティー」や「不協和音」の歌詞に代表されるような欅坂の世界観にマッチしていた。

才能がある人は、やはり何かしらの形で世に出るものなのだなと思った。
あっという間に時間が過ぎ、幸せな時間であった。

3.購入したグッズ
・アクリルキーホルダー
・ポストカード
・パンフレット

税込み720円のパンフレットがお薦めである。
表紙を除いて全32ページで非常に内容が濃く広い範囲をまとめられた至高の一冊であった。

4.おわりに
暴力的なシーンが多くある。
やはり全ての内容を肯定することはできない。
一方で、劇中にあった動物園で文芸部の部員たちと一緒に楽しく動物と遊ぶシーンも非常に印象に残っている。
癖があったり、陰りがあったりする役ではなく、高校生たちの部活動を描いた青春物語のような作品でも平手さんを見たいなとも思った。
広がりを感じさせる作品でもあった。
「響‐HIBIKI‐」は多少原作と違うところがあった。
原作を読んだ人なら、芥川賞・直木賞候補にノミネートされたときに、
候補者名に「鮎喰響」とフルネームで出ていたことに驚いたことだろう。
映画は映画で完結する必要があったから、原作とは異なる焦点を中てたメッセージを最後に発信したのだろう。
それも現在の平手さんのメッセージのような気がした。
やはり、平手さんの作品であることは間違いない。
平手さんのファンには間違いない作品であった。
エンディングに流れた曲も素晴らしかった。
次回は秋元康さんから完全に離れた作品を見てみたい。

最後に、響の部屋にあったかわうそのぬいぐるみは、最高の存在感があった。

【追記】
漫画の「響 小説家になる方法」の11巻を読んだ。
そして、思ったのは漫画と映画はやはり違うということだ。
漫画では、響と花井ふみとの関係はとても深いものがある。
特に最初に二人が出会うまでというのは、大きなストーリーがある。
天才との運命的な出会いをとげる。
花井は高校の体操着を借りて、学校に乗り込むまでして探した。
その後、花井は良き理解者であり、天才を導く。
良き理解者や良き指導者に出会って、
生徒が飛躍するというのは王道とも言えるサクセスストーリーである。
この辺りの過程や関係性が、映画では希薄であった。
響と花井の出会いまでが、漫画と比べると雑に感じられた。
もっと言うと高校生活も大分省略されていた。
そう、平手友梨奈さんのために書き直された脚本になっていた。

映画公開直後は、ネガティブなレビューを避けた。
大絶賛できなかった理由としては、
響と周りの人間関係の描かれ方が、
原作を知っているだけに上手く入ってこなかった
ことが挙げられる。

原作と映画が違うのはよくあることだ。
映画は、「天才」という一面をより強調した作品だった。
平手さんが演じることで、よりリアルに天才「鮎喰響」を
観ることができた。
漫画は漫画で、映画は映画で素晴らしい作品である。

マスター:クレア

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