宇佐見りん著「くるまの娘」の読書感想

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レビュー:★★★★☆
以下に一部ネタバレが含まれる点をご了承いただきたい。

「かか」と似た家族の問題を描いた作品であり、そこから先へ「生」について踏み込んだ作品であった。「かか」「推し、燃ゆ」と同様に主人公は10代(高校生)の女子だ。そして、親子関係に問題があるところも同じだ。今回は、父と娘の関係に強く焦点が当てられている。
母親は「かか」と同じく精神的に不安定であり、父親もまた不安定な一面があり娘に暴力を振るう。この暴力を単純に虐待として片付けて終わりではないのが本書の物語である。

本書を含めて著者の三作を読んでいるが、いずれも家族関係が良くなく主人公が生きづらさを感じていて暗澹たる気持ちになる。何のためにあえて小説でこのような現実的で明るいとは言えない話を読んでいるのか疑問を持ってしまう。読んで衝撃を受けたとか、初めて知ったというような斬新な物語ではない。気づいていても見て見ぬふりをしたり、他人の家のこと、とりわけ躾や教育には首を突っ込まないこととされている部分である。実際に学校の先生が把握しても何か解決してくれるわけではない。

国の政策で18歳以下の子どものいる家庭に一人当たり10万円が支給された。世帯主の口座に振り込まれるので、そのお金を親が何に使おうと制限はない。子どもがいるから支給されるので子どものために特別に使うべきだと思うが、何に使ったか他人が与り知るところではない。これは一つの例だが国などの公的機関の政策や介入には限度があり、親次第というのは今に始まった問題ではない。この親次第を「親ガチャ」と昨今呼ばれている。
本書で言うと、「親ガチャ」が当たりとは言えないだろう。長男は大学を辞め逃げるように家を出て、長女(主人公)は心身が衰弱し不登校がちになり、次男は高校進学を機に祖父母の家に逃げた。

主人公は母親のヤングケアラーであり、父親の暴力的指導を含んだ教育方針に耐えきれず心身に不調をきたし、一層父親から責めたてられる。ニュース等で虐待をする親は、自分も過去に虐待を受けていたという被害者の側面が強調された取り上げ方がされるのをしばしば見る。本書でも、父親の子ども時代は恵まれた親子関係ではなかった。自分が生き抜いてきた過酷な思いを子どもに味合わせるという幼稚な教育方針であるから、暴力で抑えきれない長男にはあっさりと逃げられた。部活動や職場などでも自分が新人時代に味わった理不尽な過酷な体験を後輩に味合わせる、それが当たり前と考える軍隊的な文化、卑しい悪しき連鎖は社会にこびりついている。このこびりついた性根の悪さが、悲しいかな人間の性である。だからと言って、悪癖を正当化することは許されない。過去に自分が味わったからといって免罪符にはならない。過去の被害者としての苦しみには同情するが、その苦しみを外に向かって、家族に向かって鬱憤を晴らしてはいけない。子どもを自己承認欲求を満たすための手段にするのは子どもの権利侵害も甚だしい。
凄惨な殺人事件が起きると、犯人の生い立ちや現在の環境に同情できる部分があるという意見が出ることがある。社会全体の問題だとして、頭ごなしに悪と決めつけるのはどうかという風潮すらある。その辺りが難しいところだ。
それでもやはり、自分が苦しいからといって他人に暴力や放火などの著しい危害を加えるのは許されることではない。そう説いていかないと本書の父親のように子どもたちに悪いことをしたという感情を抱いていない無自覚の悪を封じ込める術はないのではないだろうか。しかしながら、さらに追い詰めることになりかねない、やけを起こしかねないという深刻な問題が待ち構えているので、簡単な話ではない。

生を選択し続けることの意義や重さについて考えさせる物語であった。生を選択し続け、死を拒み続けることが昨今の重大事件に繋がっている可能性があるのを鑑みると一部の疑いもなく正義と言えるのか、苦しい命題である。

なお、本書の主人公であるかんこは、「くるまの娘」になり学校にはなんとか通えるようになり、多少歪ではあるが日常を取り戻しつつあるので、全体として希望を全く感じない作品ではない。「くるまの娘」になることにより、家族関係が劇的に好転したように思えた。距離を置くことは人間関係において最大のくすりになるということだろうか。父親に関しても問題の部分に関して主に感想を書いたが、やや度を超えた教育熱心な親と見ることはできないだろうか。自ら勉強を教え中学受験をさせるなど教育熱心で自分の成功体験を子どもにも味合わせたいと思い、一流企業で働きお金の面では苦労させない親と書けば外見は良い親に思えるかもしれない。
偶々子どもが潰れなかった場合というのも世にありうるだろう。

子どもの自立への葛藤、若者の生きづらさというのが著者の作品に通じるメッセージではあるが、今作はより普遍的な大きな課題を突き付けられた気がした。そういう意味で純文学を読む意味はあるのだろう。
読む前と読んだ後で何か変わっただろうか。

最後に本書には「おっぱい星人」というパワーワードが登場する。
著者の歩み寄りを感じ、僅かに親近感を覚えることができた。

<参考文献>
文藝 2022春季号/第61巻第1号 P8-71 河出書房新社 2022

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