町田そのこ著「52ヘルツのクジラたち」の読書感想
レビュー:★★★☆☆
この本は、人の残酷さと優しさという対局にあるものを描いている。
人の可能性を信じ続けるか、どうしようもない人もいると割り切るかを考える契機になる。
個人的な感想としては、本書はキナコと美晴の友情の物語であり、友達の大切さを改めて認識した。
また、他者に優しくなるという簡単なようで難しいことが自分にできないかと心を育んでくれた。
本書は、児童虐待、義理の親子関係、ALS、ヤングケアラー、愛人関係、DV、LGBTQ、自殺、交通事故による不慮の死亡、認知症、村社会、見ず知らずの中学生を保護など様々な問題が起こっていて、目次を除く256ページでは通常とても収まりきるようなものではないだろう。
重く苦しい出来事の羅列と会話で埋め尽くされていた感じがしなくもなかった。
読み始めて、私は前半までは夢中になり本書の世界に引き込まれていった。
個人的なピークは、アンさんが毒親からキナコを連れ出し、キナコが心身の健康を取り戻し自由になった中盤あたりだ。もうここまでの話で充分であった。
しかしながら、物語は続いていく。キナコは自らが何かしてきたというよりは、常に外環境がキナコを離さない。虐待をする親、偶然に道端で出会ったアンさん、新名主税との出会いなど、キナコ自らが選んで始まったことではない。キナコが幸せになるのを人知を超えた何か大きな力が阻止しているのではないかとさえ思ってしまう。負の連鎖というのは読んでいて非常に苦しくなる。
本書は、物語全体を通して暴力が支配している世界が続く。鬱々とした気分になるし、子どもや女性が暴力で支配されている辛い出来事が続く。
そして、自殺のところは淡泊に書かれていた印象で自殺という単語が持つ力に文章が追い付いていないと感じた。性的指向に悩んでいる者が結果として自殺してしまうというのは本来一冊の物語にするべきような問題であるが、本書の場合は問題が多過ぎて単語の重さ以上のものが伝わってこないような気がした。
このような感想を途中で持ち始め、やや冷めてしまったが最後の方にまた引き込まれた。それは、現実的な話が登場したからだ。キナコと愛が勝手に一緒に住み始めてめでたしめでたしと終わるのではなく、親権や未成年後見人などの問題にきちんと向き合ったところに現実感があり、また本書の世界に入り込むことができた。ただ認知症の老人(元校長)が突如襲い掛かってきて、大人の男二人が杖でなぎ倒されたにもかかわらず、愛がキナコを身を挺して守るというのが、物語としては盛り上がるかもしれないが首を傾げてしまう。ページ数に対して要素の詰め込み過ぎというのは、申し訳ないが全体を通して感じてしまった。愛が何もかも諦めたところから、前を向いたことは素敵なことであるのは間違いない。緊急事態を起こして覚醒させるというハードランディングを起こさない方が、漫画ではない文芸としてはしっくりきたと思う。
本書は、キナコと愛が前を向いて歩きだすというところがメインテーマであり、もちろん感動はしたが、それ以上にキナコと美晴の友情の深さに私は感動した。
キナコと美晴は、高校の同級生であり親友であったようだ。高校のときのエピソードが薄いので、どれほどの仲であったかが分かりにくいのは残念ある。それはさておき、アンさんと出会うきっかけもそうだし、その後もずっとキナコに寄り添い続けた美晴こそ、本書の優しさそのものであると思う。だからこそ、友達の大切さというものをしみじみと感じさせられた。
他に思うことは、キナコの母親と愛の母親は悪であり、手の施しようがない。ただ、この悪に何か直接制裁が下ることはなかった。これもまたリアルだと思った。被害者であるキナコは負の連鎖に縛られる一方、加害者は裁きを受けずにのうのうと生きている。この人生おいて感じるやるせなさというのは本書の根底にあったと思う。
なお、タイトルに関しては本作を象徴するものであり、これ以上ないタイトルであった。