志田さん、お疲れ様でした。
1.はじめに
2018年11月16日(金)に欅坂46オフィシャルサイトで
志田愛佳さんの卒業の発表と同時にグループ活動を卒業された。
このことについて書いたものである。
2.思い
率直に驚いた。
このタイミングで発表し、発表と同時に欅坂46のグループ活動を終了するということで想像の遥か上をいくものだった。
志田さんのブログを読んだが、ネガティブな印象は受けなかった。
清々しいほど志田さんだった。
体調不良で休業されていたので、体調については気になるところであった。
もちろん、卒業されるのは非常に残念だ。
ただ、サイレントマジョリティーの歌詞にあるとおり、
自分らしく生きて行く自由があるんだ。
今泉さんと米谷さんの卒業発表を受けて、卒業というものが遠いものではないことを知っていた。
今は、21人の欅坂46をリアルタイムで見れたこと、出会えたことに感謝している。
ありがとう!
11月21日に発売される写真集「21人の未完成」の帯に
『欅坂46は、いい意味でバラバラである。個性的なメンバーが、
それぞれの方向に歩き出すからだ。面白いグループだと思う。
この先がわからない。たまたま、何かの偶然でこの21人が集まった状態を
“欅坂46”と呼んだだけのことかもしれない』
と秋元康氏がコメントを寄せている。
このコメントを見て欅坂を知ったときのことを思い出した。
私が欅坂46を知ったのは偶然であった。
作業用にyoutubeで音楽を聴いていたら、突然欅坂46のオフィシャルチャンネルから
「サイレントマジョリティー」が流れてきた。意図せず聴いたそのたった1回で見事にハマってしまった。
心の深いところに響いてくる歌詞、そして独特でありながら完成度の高いダンスに見入ってしまい作業どころではなくなった。
あのMVを見た衝撃は今でも鮮明に覚えている。それから、何回再生したことか。
デビューシングルの「サイレントマジョリティー」が大ヒットしたり、デビューした年に紅白に出場したりともの凄い勢いで
坂道を駆け上がっていった。
あっという間に月日が過ぎ去っていった。もう3年も過ぎたのかという感じだ。
メンバーの体感速度はどうであったのだろうか。きっと考える時間がないほど疾風のごとく過ぎ去ったのではないだろうか。
3年あれば、容姿もそうだが内面なども移ろうものだろう。
冷静に考えれば、多感な時期であり目指すところが変わったり、決まったりしてもおかしくない時期である。
志田さんの卒業について、情報が少なく閉ざされたので何とも言えない部分がある。
ただ、私は志田さんの体調が優れた状態で決めたことなら、心から「お疲れさまでした。」と言いたい。
健康第一。一方的であっても、決断を尊重しなければならないときがあるのが人生だ。
志田さんの最後であろうブログでもそうだったが、まさに個性的なメンバーであった。
秋元氏が言うように、個性的なメンバーがそれぞれの方向に歩き出しながらも、
パフォーマンスでは一つにまとまって同じ方向に進んでいたからこそ、より惹きつけられるものがあったのかもしれない。
「21人の未完成」は、本当に多くのものを背負った一冊だ。
奇跡の1冊と言っても、現在の状況を見れば大げさではない。
期待は薄いが、現在の姿の21人全員集合を見たいというのが多くのファンの願いではないだろうか。
ガラスを割れ!のMVで止まってしまっている。
卒業に関してどうにもならないのかと思うことがいくつかある。
その1つが、最後のお見送りである。
本人の意思なのかもわからないが、急に一線を引かれて向こう側を永遠に見ることができないかもしれない大きな壁を建てられたら
気持ちの整理を付けるのは難しいだろう。本当に難しいことだ。
一方で、一昨日のベストヒット歌謡祭や舞台でお仕事をされているメンバーのプロフェッショナルさには
頭が下がる。メンバーは二十歳前後なのに背負っているものの大きさに私は感服することしかできない。
パフォーマンスを見るだけで胸が熱くなってしまう。頑張れ!と心の底から思う。
3.おわりに
「21人の未完成」で、1期生の物語の幕引きとなるのだろうか。
このことに関しては、思うところが多々ある。
映画は、本編で一切が終了するものもあれば、エンドロール後に本当のエンディングが来るものもある。
ストンと解決して終わるのか、余韻を残して終わるのか。
終わりの美学は、どれが正解かはわからない。
現在の姿が、秋元氏の描いた姿なのだろうか。
失礼なのかもしれないが未完成のまま、終わってしまったのか。
この先を見たかった。
マスター:クレア