「アミ小さな宇宙人」の読書感想
あらすじ
9歳の少年ペドゥリート(本名はペドロ)が夏休み中に宇宙人と出会う。
その宇宙人は本当の名前を名乗らず、「アミーゴ(友だち)」と呼んだらいいと言ったことから、略してアミと呼ぶことになった。
アミはUFOに乗って不時着したように見えたが、実際は偶然ではなく「救済計画」のために地球に来た。
救済計画とは、文明世界の者が未開世界のペドゥリートのような特別なひとを通して、未開世界にわずかに情報をほのめかすことである。
そう地球は、未開世界である。
文明世界とは三つの守らなければならない必要条件がある。
第一に宇宙の基本法を知ること。第二に世界の統一をはかること。第三に宇宙の基本法に
基づいた組織づくりをすることだ。
この宇宙の基本法とは何なのか、文明世界とはどういう世界かをペドゥリートはアミと宇宙をめぐる旅の中で言葉で、実際に目で見て教わる。
そして、ペドゥリートがアミと約束したもう一度会うためには、一緒に過ごした体験を一冊の本に書く約束を果たしたのが本書という設定である。
感想
内容は難しい。児童文学には難しい、いやむしろ児童文学だから遥か高みの視点からある理想の世界を説いてくれるのだろうか。
心に刺さる言葉もあれば、これはどうなんだろうかと考え込んでしまう言葉もある。
一番刺さった言葉は
「(前略)もし、人生やその瞬間が美しいと感じはじめたとしたら、そのひとは目ざめはじめているんだ。目ざめているひとは、人生は、すばらしい天国であることを知っていて、瞬間瞬間を満喫することができる……でもあまり多くのことを未開文明に要求するのはよそう……自殺するひともいる。なんてバカなことか気がついたかい。自殺するなんて!」
P75 11-14より引用
である。
この言葉だけ読んでも、いかに難しい哲学的な書であるかがわかるだろう。
人生やその瞬間が美しいと感じたことが自分の人生にあっただろうか。
美しいと言えるかは自信がないし、すばらしい天国とまで思ったことはないと言える。
このことについてあまり考えるのは確かに健康に良くなさそうだ。
大人は本書の冒頭に書かれていた通り、読まない方が良いのかもしれない。
未開世界である我々地球人へ文明世界の住人アミが情報を教えてくれる物語であるから、このような深い言葉が多く出てくる。
考えすぎるのも良くないとはこの頃よく思うので、自己啓発本のような役割もあった。
本書では一つの指標が登場する。愛の度数だ。
現在の地球人の平均は550度で、700以上は救出するに値する人であるということだ。愛の度数についてここで詳しく書くことは、本書の楽しみを奪ってしまいかねないので省力する。
自分の度数はいったいどれくらいなのかと本書を読んだ人は考えることだろう。
目ざめていない(催眠状態)で愛の度数が低い人間なんてごまんといるだろうし、個人の幸福と相関があるかは別だと思ってしまうのは度数の低い人間が考えることだろうか。
大人になるにつれ高くなる人もいれば、下がっている人もいるだろう。これは難しい問題だ。アミは愛の脳が頭の脳より発達しているひとを「善良なおバカさん」とでも言おうか、「悪いインテリ」に騙されると教えるなど、ただ理想を教えるだけではなく本当に深いところに本書はある。
とにかく考えさせられる、単純なことであるが本質的なことが書かれていた。
本書の主人公である少年ペドゥリートは9歳であるが、大学生と言われても不思議ではない理解力を持っている。これは日本の小学生を想像をするからそう思うのか、選ばれただけあって優秀なのかは判断は難しい。子どもを主人公にした方がすんなりと物語が進むとは思う。大人が主人公だったら、現実はそうはいかないんだよとか屁理屈をこねそうだ。実際に私も引っかかるところがなかったわけではない。
先のことばかり考え過ぎず、今をもっと楽しいみたいとは思った。
本書は国境は関係なく多くの人に読んでもらってこそ、より意味をなすものだ。
地球が文明世界になるよう願うとともに、自分の愛の度数も高めていきたい。
<参考文献>
アミ 小さな宇宙人 エンリケ・バリオス著 石原彰二訳 さくらももこ絵
徳間文庫 2005年8月