「推し、燃ゆ」を読んだドルオタの感想文




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1.はじめに

以下の感想文には、ネタバレが含まれます。
事前にご了承ください。

2.感想

アイドルオタク(以下、「ドルオタ」とする。)の印象が悪くなるなと思った。
この本を読んで、ドルオタになることは素晴らしいと思う人は皆無だろう。
この本は既に50万部発行されており、文藝春秋の芥川賞掲載特別号を合わせれば、かなりの方が読んでいることになる。
ステレオタイプの偏見に繋がらなければ良いなと願う。

私自身、あるアイドルグループのファンをやっていた経験がある。

本書のタイトル「推し、燃ゆ」であるが、そもそも「推し」の定義とは、ということになる。本書にもアイドルとの接し方は十人十色と書かれているように解釈は多様である。
特別に応援している対象、特別に好きな対象というのが広義の解釈になると思う。
対象を人に限定するときは、推しメン(推しているメンバー)と呼んでいる。
盲目的に信奉する対象としての偶像と解釈している人もいるので、ネガティブな意見に対して過剰に反応し、しばしばオタク同士でも不毛な争いが起きる。だから、ドルオタが本書を読んでもこういう奴がいるのは知っているが、全員が理解、共感するわけではないとはずだ。
本書の主人公の場合は、広義の解釈に理解を示しつつも実際に取っている行動は盲目的であり自分の中の偶像は出来上がってしまっている。

アイドルはどの時代にもいるので、熱狂的なファンはどの時代にもいる。
変わっているのはビジネスモデルの方である。
ドルオタを現代特有の形と考える人がいれば、それはビジネスモデルの仕掛け人がそうさせているだけである。
例えば、同じCDを複数枚買うのをファンにとっての普通にしたことである。
何を言いたいかといえば、本書は物語の一面に過ぎないということだ。
本書は、あるドルオタ側を描写した物語である。

本書に登場する主人公のような行動は、Twitterでよく見かける光景であり盛っているとか奇異に書いているなどの印象はない。例えば推し活(推しているアイドルへのオタク活動)のためにアルバイトに明け暮れたり、推しのアイドルの誕生日にホールケーキを買って一人でグッズなどで囲んでお祝いしたり、お金や時間の中心に推しがいることである。
特異なことは、主人公が高校を留年して中退し、アルバイトもクビになり就職も決まらずニートとなり家族関係が著しく悪化していることだろう。それでも親からの生活費の仕送りを推しのアイドルに貢ぐことをやめられない。推しのアイドルが炎上しても何しても推すことをやめられない、自己喪失への拒否なのか執着が物凄い。
キャバクラ・ホストに貢いで借金まみれになったり横領したりして人生が狂ったとか、ゲーム廃人となり引きこもりになったとかその類に近い社会問題の一つである。
本書の問題として廃課金性のアイドルグループは現代版なのに、病気の理解は古めかしい作品である。
これが現代的な生きづらさの根源の一つだろうか。

主人公は学習障害があり、何らかの病気の診断を受けている。しかしながら、その病気に関する治療や支援は受けていない。
高校を留年し中退していなければ、よくいるドルオタの話で終わった。
留年の理由が出席日数の問題なのか、学力的なものなのか理由はっきりとは書かれていない。主人公にとって重要な出来事であるが、あっさり中退からの退学という結論だけが書かれている。いくつか匂わせ構文があり、唐突にという感じは受けなかった。
物語としても重要な出来事であるので、本書全体としてはアンバランスな感じを受けるが本書としては病気には深く言及しないというスタイルを示したのかもしれない。
なお、別に高校に行くことや卒業することに拘るつもりはない。
未成年の子どもに親(大人)が支援することは普通のことであり、親が子どもに丸投げして高校中退の状態で自分の力だけで就職先を見つけろと言うのは無理があるだろう。
最近は親ガチャという言葉を聞く。両親が健在で経済的に困っているわけではないのだから公的な就労支援や医療に繋げればいいのにと思うが親は文句を言うだけである。
幼いときから主人公が何回やっても漢字や九九を覚えられないなど苦しんでいることを母親は知っていて、病気の診断を受けていることも知っていたのにだ。
もちろんすべてを親の責任にするのは酷であるのは理解している。
主人公はにっちもさっちも行かなくなった上に、推しのアイドルが芸能界を突如として引退してしまう。主人公には何も残らない。もしかすると推しとの(一方的な)思い出が大切なものとして残っているのかもしれない。
読んでいて苦しさだけが残る後味の悪い作品であった。

現在の多くのアイドルグループの仕組みとして廃課金性がある。お金を多く払えば握手会などの対面イベント、現在はコロナ禍でオンラインイベントで長く推しと話すことができるなどである。それが人気のパロメータの一つになっているので、オタクは頑張る。本書に登場するCD1枚につき1票付いてくる人気投票券は一世を風靡した女性アイドルグループで行われていたことで有名である。黙って何十票も投票すればカッコイイが、そんなオタクはそうといない。
よく見るのは大量に買ったCDや投票券、支払った金額の画面をSNSに上げることである。
他にはイベントの会話内容の詳細レポート、ライブのセットリスト(セトリ)やMCなどで足しげく得た情報の発信がある。
こんなんに使ったぞとひけらかすのもあるあるであり、オタク同士でマウントを取り合うことで本質とは別なところで競争が働く。
こういった太客のおかげでアイドルグループが成り立っているいるし、誰にでもできることではないのでオタクの中でも一目置かれる存在になる。
本書の主人公のようにSNSを駆使したオタク間のオピニオンリーダーのような存在がどのアイドルグループにもいることだろう。本書の主人公は推しの存在によって自己肯定感を得ていたと考えられる。
私もドルオタであったしSNSをやっているので本書を読んで共感できるところはあった。
閲覧者が増えたり、いいねがもらえたりすることを自分が認められたなどと大層なこととは思わないが嬉しさはある。
本書を読んで、ドルオタならば一抹の虚しさを感じてしまうことだろう。
ドルオタとSNSは切っても切れない関係だ。

本書はドルオタ活動の負の側面を強く描いた作品だと思う。
実際にドルオタ活動はお金も時間もかかる。ライブや握手会の活動のために飛行機や新幹線で移動し前泊することなど特に珍しいことではない。直接的な時間もかかるし、その活動のお金を工面するにも時間がかかる。アイドルはキラキラしているのに、それを支えているオタクはもやし生活というコントラストもまた残酷である。
一方でアイドルに限らずライブ(コンサート)に行くことは楽しいし、遠出(遠征)するのも旅行で楽しいものである。またアイドルがきっかけで気の合う仲間がインターネット上だけではなくリアルにできる。無理のない範囲でのオタク活動はアイドルからリターン(ギブ)の方が多い。そもそもこれはアイドルに限った話ではない。
他にも推しのためであったとしてもアルバイトを頑張った経験は就職活動の自己PRでも使える。そして、推しの存在は日常の活力となる。
本書を浅く読むとドルオタの末路といった感想となってしまうので、ドルオタの良い側面を書かずにはいられなかった。

主人公が少しでも前に進んだ明るい兆しでも感じられたらまだ良かったが、最悪の選択をせず生に前向きな姿勢を感じられたところで充分だと言わないといけないのかもしれない。主人公がまだ高校生の年齢(10代)だからか、絶望は感じなかった。
そもそもとして、推しの卒業や引退がドルオタ卒業を意味しない。
神推しとか~推しといって何人も推しがいるドルオタや、今までの推しを永遠の神推しとか言って直ぐに新しい推しを見つけるのがドルオタ界隈の悲しい性である。最初の方に述べた通り、推しの定義は人によって様々である。
推しがいる自分に意義があるのかもしれない。
額面通り受け取ってはいけない。本書もドルオタシーズン1が終わっただけかもしれない。

3.おわりに

今年芥川賞受賞作品である「貝に続く場所にて」に比べれば文章が平易に書かれているので非常に読みやすく2時間で読み終わった。
正直に申し上げて、別におすすめの一冊ではない。
本の帯に著名な作家先生の大層に絶賛するコメントが書かれていた。
私としては多様性の時代だし、こういう人もいるよねと読んでいて特に刺激はなかった。
本書はオタクのほんの一例の物語であり、今の若者はこう考え方ているとかオタク文化の理解とか変なレッテル貼りをされなければ良いな思う。

文学に求めてはいけないことだが、本当に生産性がない話であった。

【参考文献】
宇佐見りん.「推し、燃ゆ」.河出書房新社.2020

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