万城目学著「べらぼうくん」の読書感想

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「あの鴨川ホルモーが、このような環境下で書かれたものだったとは、露にも思わなかった。」というのが感想だ。
 私は、読書はそこそこするが、一部の例外を除いて著者についてあまり興味を抱かない。先に例外を言っておくと、著者がアイドルであるなど読むきっかけ自体が著者にある場合だ。著者について知ってしまうと先入観を持ったりや要らぬ忖度をしたりしながら読んでしまい、読書の意義がなくなってしまう場合がある。映画やアニメを先に観て、原作を読んだ場合にも同じことが言えるだろう。

余談だが、先日直近の直木賞を受賞した窪美澄氏の「夜に星を放つ」を読んだ。私は短編集の直木賞は快く思わない過激派であるし、内容自体も面白くもなく、特に気持ちが変化することもなかった。いつもは読んだ小説、とりわけ話題作はこのブログに感想を書いている。それは良かった本も、悪かった本でもだ。ただし、この直木賞受賞作は感想を書く気にならなかった。それはなぜかというと、「オール讀物」で、窪美澄氏の受賞のよろこびのインタビューを読んでいたからだ。私は窪氏についてそれまで、窪氏自身の個人情報は持っていなかった。どうやら窪氏は児童期からの苦労人だったらしい。それから、この受賞に至るまでも平坦な道のりではなく、直木賞受賞という最良の出来事に対してケチを付けるのはいかがなものかという良心的な判断に私を至らしめた。おめでとうございます。窪氏の人生自身が何か小説で読んだような波瀾万丈の物語だった。とこのように、著者の人となりを知ると読書を純粋に楽しめなくなるという弊害がある。

それで何で、べらぼうくんを読もうと思ったのかというところから書くのが筋だろう。新聞の広告欄に

「居心地よすぎの京都を抜け出し就職しても小説家を目指して無職に!?未来なんて誰にもわからない。万城目ワールド誕生前夜の青春記」(原文ママ引用)

という作品紹介が載っていて、「無職」と「万城目ワールド誕生前夜の青春期」というワードに反応したのである。私は万城目氏の作品は、この本を除いて7冊読んでいる。特に鴨川ホルモーが好きで読み終えて直ぐに当時の既刊の「鹿男あをによし」や「プリンセス・トヨトミ」を読むなど万城目ワールドに魅了された。だから、その誕生前夜に興味があった。なお、著者が京都大学法学部出身の情報は巻末等の著者紹介で以前より得ていた。京大法学部(エリート)と類型を見ない自由奔放な世界観から、学生時代に既に頭角を現しており、そのままの勢いでデビューした順風満帆な人生なのだろうと勝手に思っていた。とりわけ高学歴な方は若くして、芥川賞などを受賞して脚光を浴びている作家が多い。最近は医師や弁護士なども参戦し、さらにTikTokerで小説紹介している人があっさり小説家デビューするなど、下駄はかせがあり小説家の世界は完全な実力社会ではない場合があると私は思っている。だから、無職と高学歴の万城目氏とは結び付かない意外性があり、紹介文に興味を持たされた。
それでこの本を読み始めて、万城目氏は思ってたより歳上だったことを知った。作風が変わらないので、意識してこなかったが、当然ながら、作家も歳を取るのである。読みながら、こんな当然なことに気づかされた。アラフィフのおじさんが、「ヒトコブラクダ層ぜっと」を書いたのかと驚きとシュールさに胸がざわわした。それは置いておいて、

「小説家になるには、書き始めてからだいたい7年かかる」私の持論である。(P188.5-6引用)

が一番印象に残った文章である。当たり前のことだが、作家はデビューするまでに苦労されている。医者が医学部で6年間、弁護士は法科大学院までで6年間と専門家になるのには時間がかかる。どの分野でも専門家として一歩踏み出すのには時間がかかると視野が広がった気がする。身の回りに作家がいないので、本書のような誕生前夜は新鮮であった。本書に小説家になるにはついて教えられた。本書は、「小説家合格体験記」のタイトルがしっくりとくる。
 20代後半で仕事を辞めて、無職であてもなく小説家を目指すというインパクトに最初は興味本位、驚きをもって読んだが、冷静に読み返すとそれほど衝撃的なことではない気がしている。高学歴で優秀な人は、就活が上手く行かないから医学部の再受験や公認会計士などの資格試験に仕事を辞めて挑戦する話はそれほど珍しくない。また、実家が太い人は何浪かして私大の医学に進学するなど選択肢が広い。博士課程や法科大学院の人は卒業するころには既にアラサーだ。高学歴の人は持っている自信が、一般人とは違う場合がある。それも一般人よりは成功体験に基づいた根拠がある自信だ。無職3年で小説家でデビューでき、ヒットした結果を見れば、それほど苦労人という印象は著者には持たない。ただし、これは結果論であって、追い詰められた環境下であの「鴨川ホルモー」という類型を見ない未知の世界で京都に住む学生の気分にさせてくれる作品を生み出したというのは想像だにしていなかった。あとがきに書かれているように人の不幸は蜜の味と思うことも私にはある。だから、親に勘当された、借金まみれ、汚れ仕事していたなどもっと落ちこぼれたエリートを期待していた自分がいなかったとは言えない。無職時代に簿記取得ために専門学校に通い、どうやら恋人もいたらしい。さらに大学時代の留年も自堕落なだけである。そう考えると、タイトルの「べらぼうくん」は納得である。
 結局のところ、読む前と読んだ後で著者のイメージが変わったところと言えば、思ったより歳上だったぐらいだ。

<参考文献>
べらぼうくん 万城目学 文藝春秋(文春文庫) 2022

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