遠野遥著「破局」の読書感想

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レビュー:★★☆☆☆

女性のみなさん、男性の体に触るとき許可を得ていますか?性交渉するときにその都度男性から合意を得ていますか?許可や合意を得ないでした場合、付き合っている場合でもDVやセクハラになるかもしれませんよ。男女の関係において、性交渉において女性が主導的な場合もあることを示し、ジェンダー平等を提起したのが主題だと読んだ。

しかしながら、いかんせん主人公の男(陽介)の行動規範は自身の男性器が優位に立つ。本書にピアノマンと名付けられた黒い毛のミニチュアダックスフンドが登場する。この安易の名前付けに習い、男性器優位のものを「チンポマン」と名付けたい。哀しいかな男性はみなチンポマンであるという主張があるかもしれない。これを否定できるエビデンスを即座に示すことはできないが、程度の差があることは否定できないだろう。主人公の男が「我が名は、チンポマンである。」と名乗りを上げても、読者が批判できないように性器や自慰行為の描写を入念にかつ丹念に仕込んでいる。チンポマンが、女性からの性被害、本書で言えば合意の確認なくされた強引な性交渉、過酷で身体的苦痛を伴うほど長時間拘束する性交渉を強いられたと訴えても説得力が欠けるというか心証が良くないなど男性側が不利、不平等に扱われる哀しい現実をも提起したかったではないか。これは男性の生きづらさを書いた作品なのかもしれない。

本当のジェンダー平等とは何なのか?核心に迫ろうとした勇気をある作品だと受け止めた。

本書は著者の私小説なのだろうか。エッセイのように読みやすくあった言う間に読み終わった。私が今まで読んだ芥川賞受賞作中でも圧倒的に読みやすくエコ純文学と言えるかもしれない。
何でレビューが低いかは、終わり方があっけないのと全体的にあまり繋がっているように感じず、むしろ頁稼ぎにすら感じたからだ。
男女関係以外には、高校ラグビー部のコーチ業、名前が膝という大学の友達、公務員試験の3つの事象が頁を割いて大きく扱われている。
どの事象も主人公の男の人物像を想像させることに役立っている。そしてどの事象も最後までみなまでは描いていない。公務員試験も筆記試験が通過し、面接を受け終わったところまでだ。例えば面接で落ちたという結果が書かれれば、人物像をある程度決定づけられる。だが、そこまでは書かない。何で膝という変わり者の友達がいるのか。類は友を呼ぶだからだろうか。高校ラグビー部の顧問は、主人公の男をどう思っているのか、面倒くさいと思い始めているのか。決定づけるところまでの情報はなく、勝手な想像を許してくれるところが本書の良さなのだろうか。本書の分量が短いこともあって、結局印象に残ったのは主人公の男の肉体、主に性器の話だ。朴訥な語り口というか心の声が漏れたような語り口で綴られ、きっと主人公の男は神経質な男なんだろう。最後に爆発してしまったが、自分は公務員になる人間だからと最後まで自制してそのキャラクターを守り切って欲しかった。1,2年が日吉で、3,4年が三田である大学は、著者の母校であるのは間違いない。本書の内容とその大学を結び付けるのは昨今のニュースを見るに容易である、むしろイメージ通りというのは皮肉であろうか。
私はもっと切実な形で訴えて欲しかったのかもしれない。
あっけない幕切れだった。

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