辻村深月著「鍵のない夢を見る」の読書感想
レビュー:★★★★☆
どの短編も読み応えがあった。最初の「仁志野町の泥棒」だけ、他の短篇とは内容が違った。
本書が著者の直木賞受賞作だから手に取った。
私の無知で直木賞が短篇集でも受賞できるというのは知らなかった。
独立した短篇集であり、「鍵のない夢を見る」という題名の短編はない。
本書にある短篇五作読んで、読んで直ぐに「鍵のない夢を見る」という題名がピタッとハマるという感想は抱かなかったし、俗に言うここがタイトル回収だという瞬間はなかった。自己中心的な癖のある主要な人物が登場するのは共通していた。言いたいことやどういう状況なのかは伝わってきた。それは、「美弥谷団地の逃亡者」に相田みつをの詩が引用されているが、詩のような味わいや深さだった。これは短編だからか、純文学にある普遍的なことを書くのが目的であまり書き過ぎないようにしたからかだろうか。一篇が短くが一気に読み終わるので、起承転結がはっきりしてかつ思い出すという作業がなくすんなりと入ってきた。全てを読み終わって振り返ってみると、登場人物の名前をろくに覚えていないし、特に深く刺さったものはなかった。一時の特定の人物と状況が深掘りされていた。各短篇の出来事は実際にニュースで見たことがあるような事件で、それを普遍的なことに落とし込んで違和感なくサッと読み終えることができたのは文章の上手さというか読みやすさであり作品の完成度の高さだと思う。あぁこういう異常者もいるなとか人間の心というか精神の弱さを感じさせられる作品であった。
「鍵のない夢」とは誰でも入ることができる夢ということだろうか。確かに一歩間違えれば、または生まれた環境などがそうなら短篇のような状況になる可能性は誰にでもあるかもしれない。本書を読んで「夢」という字から迷夢、悪夢、白昼夢、夢幻などが思いつくが、理想という意味ではないとだけははっきりと言える。表題の「鍵のない夢を見る」について考えると、共通項がある深い作品だったような気にさせられる。
個別に言うと、「仁志野町の泥棒」だけは、その後が気になる長編で読みたいと思わせられた。律子の半生はいかに。律子はミチルの名前を間違いなく憶えていたはずだ。こういう人は自分を守る術を心得ている。きっと、律子は母親と瓜二つになったのだろう。とても悲しい物語だ。ミチルが正解なのか、優美子が正解なのか、優しさとはという普遍的な問題に行き着く。
他の短篇については歳をとっても偏屈にならず、自分の世界に閉じこもらず心にゆとりを持ちたいと思わせられる作品だ。それが簡単ではないことを置かれた状況を変えて物語が教えてくれる。
「石蕗南地区の放火」では、人を傷つけないのであれば、ずれていてもプライドが高くても別に良いんじゃないかと思った。もともとの気質なのか、田舎がそうさせるのか、歳のせいなのかはミステリだった。
「美弥谷団地の逃亡者」については展開が読めず、読み直してより一層楽しめる巧みな作品だった。相田みつをを信奉する若者やばい奴説の提唱だろうか。ある宗教の入口から沼にはまるまでのような話だった。
「芹葉大学の夢と殺人」に登場する男(雄大)のサッカーの日本代表になる夢は、あまりにも壮大で浪漫あふれ過ぎていてネタ枠としても上限を超え、一瞬でやばい奴と分かる。
若さとは、夢見ることとは罪なのだろうか。
「君本家の誘拐」については、自分の子どもの名前に自分の漢字一字を入れたがる母親には警戒したいと思わせられた。
それほど深く刺さったところはないこととネタバレを極力避けたいのでこの辺りで感想を終わりにしたい。
<参考文献>
辻村深月 鍵のない夢を見る 文春文庫 2015