深緑野分著「ベルリンは晴れているか」の読書感想

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レビュー:★★★★★
1920年代から第二次世界大戦後のドイツを通して、戦争の悲惨さについて教えてくれる良書だった。
最後まで展開が読めず、ミステリーとしてものめり込ませてもらった。
本書の内容とは直接関係ないが、巻末の参考文献の紹介や謝辞が丁寧に書かれていて、史実を扱っている本書に一定の信頼を置けた。日本人の視点ではなく、ドイツ人の視点から第二次世界大戦を描いた物語であり、新たな視点や気づきを得られたので本書を読んで良かった。最初に書いておくと、平和の尊さを改めて強く認識したというのは大前提にある。

あらすじをネタバレなしで書くのは難しいが、極限の状態に置かれたときの人間の本質を描いた作品だ。人間の本質が性悪説であるとも思える出来事が続く中、極限の中でも性善説を信じさせてくれるわずかな希望を感じさせられた。
アウグステ・ニッケルという17歳のアーリア人の少女の過去と現在の視点で、ナチスが勃興するドイツや戦中戦後の生活を描いている。アウグステは、ある事件の陰謀に巻き込まれ、ソヴィエト兵に人探しを強制的に行わされる。この陰謀と巻き込まれるという偶然にも思える必然が本書のミステリーである。途中でアウグステの行動になぜと思うところがあったが、本書を最後まで読めばすべてが繋がって腑に落ちた。

また、本書を読めば人権についても考えさせられる。第二次世界大戦が1945年に終結してから、2021年現在において76年が経過している。この76年に対しての認識について人によって異なるだろうが、まだ76年が経っただけなのかと改めて意識させられた。昨今は多様性の尊重が叫ばれる時代である。本書の人権が蹂躙される時代から考えれば、大きな前進を遂げていると言えるだろう。ドイツや日本のこの100年にも満たない期間での復興や人権意識の向上を考えれば、やはり人間の可能性を信じさせてくれる。
一方で生きていた時代が違えば、人権などの意識ひいては人格が違ってしまうのだとも思った。現在の事例で言えばパワハラやセクハラの認識が年配の人と若手では全く違っていたりするし、年配の政治家が平気で差別的な発言をしたりする。教育における体罰なども過去からの負の連鎖と言える。それが当たり前の時代に生きていた人に対して、矯正しようとすることの意義というか難しさについて考えてしまう。広辞苑第七版によると「【矯正】欠点をなおし、正しくすること。」とあり、「【矯正教育】犯罪または非行を犯し、またはそのおそれがある者を矯正し、社会の一員として復帰させる教育。」と書かれている。
現代においても人権について矯正教育が必要だとしたら、実はあまり社会は進歩していないのかもしれない。矯正教育を国が行う国を先進国と言えるのだろうか。まさか矯正教育が必要な指導者(政治家)が国を指揮していないだろうか。国が行う矯正教育と聞くと、やはり本書のナチスの支配が頭に浮かぶ。
最近の若者をZ世代などと呼ぶが、世代によって区分するのもあながちおかしなことではないなと思った。十把一絡げにするよりも議論をする上では前提条件を理解でき建設的である。
アウグステのように良心を持ち続け、良心に従う勇気を持つこと、実行することは現代社会においても非常に難しい。現代社会とは、人権意識が極めて低い人が少数とは言えない社会のことを指している。このことを考えれば、本書は戦時中戦後に限った問題ではなく、普遍的な問題であると言える。
なお、本書は戦後の復興などについては書かれていない。第二次世界大戦直後の出来事で物語は終了している。上記は私が勝手に抱いた感想であるが、史実を使った物語は未来への教訓が少なからず含まれている思っている。本書は変わることのない現代の道しるべだ。

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