朝井リョウ著「少女は卒業しない」の読書感想
レビュー:★★★★☆
この本は大分前に買っていた。
買ってからこの本を読むまでにも何冊も別な本を読んだ。
意図的に後回しにしていたのだ。
その理由は、あまりに心の深いところに入ってくるので、朝井リョウ氏の作品を読むのには覚悟が必要であるからだ。
朝井リョウ氏の代表作は、「桐島、部活やめるってよ」や直木賞受賞作「何者」あたりだろう。
もちろん、私は両方とも読んでいる。
「桐島、部活やめるってよ」を読んだ後は、心を激しく揺さぶられた。
内面の深いところ、言語化が難しい本質を描くさまに感銘したのは夏目漱石の「こころ」以来だろうか。
朝井リョウ氏の作品には、異なった立場の人物が登場し、異なる視点で描かれる。
短編集かのような独立した視点で描かれながらも、一つの作品としてのまとまりがある。
人は、特に高校まではパターン化された一通りの生き方しか経験できない。
女子校や男子校の生徒は、共学の学校については想像でしかない。
その逆もそうである。
運動部や文化部、進学校や就職が多い学校、都会の学校や地方の学校など。
高校を二つ卒業するなんてことは、通常はないのだから一つの経験である。
自分の過去を否定するつもりはないが、こういう学校生活もあったなとか、
実はこういう学校生活を送りたかったのに若さゆえにできなかったとか。
読んでいるうちに、登場人物の一人に感情移入してしまう。
そして、やり直せないが故のもどかしさは深く心に残ってしまう。
朝井リョウ氏も通りの学校生活を送り、その経験の中から紡ぎだしているはずだ。
勝手な思い込みかもしれないが、私が進学校や運動部などと朝井氏と環境が似ているため、
作品に入り込みやすいと思っている。
私にとって、特別な作家であるからこそ、読むのを後回しにしていたのだ。
少女は卒業しないでは、新たな発見があった。
全部7つの短編が入っている。
7つの作品は廃校になる高校、最後の卒業式という同じ軸で描かれている。
新たな発見とは、朝井リョウ氏の作品の脆さである。
7つの作品の最後「夜明けの中心」は、本当に高校生ぐらいが書いたかのような幼さを感じた。
設定から、進行まですべてありきたりで、意外性はなかった。
他の6つの作品は、全て朝井リョウ氏の独特の描き方、感性があって心の内なる世界に入らされた。
だが、最後の作品だけは、本当に朝井氏の作品なのだろうかというほど、奥行きもなく表面的な作品であった。
人の死を短編で描くには足りなさ過ぎたのだろう。
最後に脆さを見た。
青春小説は、一歩ずれると俗に言う「中二病」のような幼稚なものに見えてしまう。
特に良かったと思う2つの作品について書きたい。
「屋上は青」
中学までは、特に努力しなくても何でもできてしまう奴がいる
どこの進学校にも、一人か二人はいる芸能人志望などの特異な存在
割とありきたりの話ではあるが、特異な存在に自分がなれるのかというのは全く別な問題である。
大多数がそうである規律・集団を重んじるマジョリティーと、
高校生ながら自分の道をいったマイノリティー
対極にいる男女の幼なじみの話である。
日本の高校という閉鎖空間での正解はマジョリティーなのかもしれないが、
その正解という概念は何なのかと思ってしまう。
「ふたりの青春」
この日本の高校という閉鎖空間に一石を投じたかのような作品である。
障がいについて考えるには、心の豊かさや想像力が必要かもしれない。
自分の経験で言えば、高校生でそれができるかというと難しいかもしれない。
少し前によく耳にしたスクールカーストの問題も描かれている。
自分にとって居心地が良い空間はどこなのか。
スクールカーストという他者の目を気にせず、自分の気持ちに従って行動するのは難しい。
帰国子女という特別な視点を持った少女によって、閉鎖空間の問題を浮き彫りにし、縛られない
青春を描いている。
全体としては、やはり朝井リョウ氏の作品であり、読んで良かった。
ちょうど連休中で、深く余韻に浸っていられる。
「少女は卒業しない」を読み終えて、
早速「武道館」を買ってきた。
次はいつ読み始めるか、内なる自己に聞いてみる。
<参考文献>
朝井リョウ 少女は卒業しない 集英社文庫 2015