森見登美彦著「シャーロック・ホームズの凱旋」の読書感想
レビュー:★★★★☆
とうとう物語を完成させたのかというのが感想だ。
堂々巡り、パラレルワールドへ分岐等々で物語を遅々として進ませず煙に巻き、何だったのか、これで終わり?と余韻を残し過ぎて終わるのが森見作品の常套手段だった。
もちろん、堂々巡りの言い回し、言い換えなどが癖になる面白さがあり、こうやって懲りずに森見作品を読んでいるわけだ。
ただ、このところ著者と物語の登場人物を重ねるかのような内容があり、著者も本書のシャーロック・ホームズと同じスランプに陥っていたのだろうか。
この本を書き上げたことによって、著者もスランプが解消されたことを願うばかりである。
前作の熱帯は、前半から後半へ進むにつれ、物語が大展開し過ぎて好みが別れるところだった。
ほとんどの読者は前半は間違いなく面白かった、引き込まれたと言うことだろう。
これは年齢によって分かれるのかもしれない。なんせ高校生直木賞を獲ったくらいだ。
私は、童心を忘れてしまったのか置いてきぼりをくらい後半の物語に付いていけなかった。
モヤモヤしたまま読書終えたのが、昨日のことのように思い出される気がしないでもない。
これは前置きで、本書でも展開が大きく変わる場面がある。
私は、熱帯の展開が頭をよぎった。
これは、まさか夢落ちまであるなとさえ思った。
また、このままパラレルワールドで終わり、前半は好きだったのに・・・みたいな気持ちになるのかと疑念を抱きながらも読み進めた。
何と、物語が収束しだしたではないか!
とうとう広げた大風呂敷を回収する展開がきたのである。
時は来た、それだけだ。
待っていたかいがあった。
ありがとう、森見登美彦(敬称略)
あとは語るまい。
と言いたいところだが、読者もまた飼いならされているので捻くれている。
読み終わったから少したってから、沸々と別な感情が湧き出てきた。
ハッピーエンドが本当に長年待っていた展開だったのだろうか。
この感情は何なんだろうかと逡巡した。
一つはワトソンとメアリのイチャラブ展開が飯まず展開なのだ。
二つにはホームズとアドラーの匂わせがあることだ。
森見作品には、ボーイッシュで疾走感ある女性と四畳半暮らしの女と縁がない弁にのみ長けた偏屈な男性を期待しているところがある。
青春(アオハル)とか桃色遊戯を良しとしない斜に構えた姿勢こそが至極だったのではないか。
ところが本書はどうだ。
友情とか、愛とか少年漫画のような展開ではないか。
走れメロスか!
ラブコメまである。
金魚のワトソンぐらいしか、かつての面影がない。
著者は、とうとう風紀委員を降りたのか?
長年目を背けていたことに、著者が向き合ったということなのだろうか。
やはり、友情と愛にかなうものはないのか。
面白かったのは間違いない。
物語にある通り、どちらが幻の世界なのだろうか?
黒の祭典が正解のような気すらしてきた。
次回作に期待である。
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<参考文献>
森見登美彦 シャーロック・ホームズの凱旋 中央公論社 2024.1
森見登美彦 熱帯 文春文庫 2021.9